遊びの中で学ぶこと

外遊びが心地良い季節になってきました。冬の間は気合を入れないと外で遊ぶ気になれなかったのですが、春になると大人の私も外遊びが楽しみになってきました。

先日幼稚園の友達たちと公園に行ってきました。その公園は山の中腹にあって、

子どもの足でも登れるくらいの小さな茂みのある丘がありました。

 男の子も女の子も初めは遊具で遊んでいたのですが、すぐにその丘に登り始め、

落ちていた枯れ木の枝や折れていた笹をみんなで運んだりしていました。

子ども達はひたすら丘に登ったり降りたり、走り回っていました。

私は「大人には到底無理だ、子どもはなんでも、どこでも遊べるものだな」と感心してみていました。

 そんな中4~5人の男の子がチャンバラごっこにちょうどいい枝を見つけてきて、走り回っていたのですが、どうやら枝を振り回すのが危ないと言うことでお母さん達にその遊びを禁止され止めさせられていました。

それを見ていて私はとても残念な気持ちになったのです。

お母さんたちが言っていました。「自分の子どもが怪我をするのも嫌だけど、人に怪我をさせて問題になっても嫌よね」

確かにその通りです。怪我をすることは嫌だし、相手に迷惑をかけるかもしれません。

取り返しのつかない大怪我をするかもしれません。

〈怪我をするかもしれない、だから怪我をするかもしれない遊びを止めさせる〉という

ことがとても残念に思えたのです。

子ども達は自分で茂みなのかに入り適当な長さの棒を見つけ、まるで自分が憧れのヒーローにでもなったかのように口々に何か言いながら楽しそうに走り回っていました。

誰からも決められたルールも無く子ども達自身でルールを決めながら遊ぶ、棒が当たったら痛い思いをする、相手も同じように痛い思いをしているかもしれない、どもくらいの力なら怪我をしないかとか、夢中になっていてもどこか相手を思いやる気持ちを忘れないとか、自然の環境の中で誰に遠慮するでもなく大きい声を出しパワーを使って遊ぶとか、

遊びの中でしか学べないことがたくさんあるのに、そのチャンスを「怪我をさせて問題になったら嫌だ」という大人の都合でやめさせるのはあまりにも残念でなりませんでした。

怪我をしないように、危なくないように、子どもの前にある危険を親が全て取り払うことが親の役割でしょうか?

「力の加減をしなさいよ」「上手に遊ぶんだよ」「相手のことも考えてね」

危険を全て取り払うのではなく、楽しく遊ぶためのコツを教えてあげることも親の役割なのではないかなと思う外遊びでした。

こころのおはなしやさん

メンタルサポート研究所グループ こころのおはなしやさん 心理カウンセラー 栗原美香 公式サイト